どんなものか想像

半世紀以上生きてくると、だいたい自分の人生はどんなものか想像がつく。
過去を振り返り、現在を見て、さらに未来を予測する。
そう大きなどんでん返しはないはずだ滅曱甴
予想通り、何もなければ、大大大大満足である。
予測できないような大惨事に見舞われたとしたら、それは想定外なので仕方ない。
予期できないことのために、備えよと言われても、、、。
せいぜい、最低限の災害グッズを備えるぐらいか。
病気にならないために過度な気配りや心配をすると、せっかく現在健康なのに、健康が目減りしてしまいそうだ。
健康オタクというらしい。
歳がいくと、あちこちガタが来るのは当たり前なのだから、受け止めるしか手がない。
へんに回避するための奇抜な方法や努力を取り入れ、ストレスを溜めるぐらいなら、普通に病気になったほうがマシ。

わたしは、自分の人生はほぼほぼ終わっていると思う。
あとは、字の如く、余生。
余った生。
余りは、楽で楽しくて解放されて、この上なく幸せ、充実していると感じる環保禮品
それは、今までの人生を肯定しているからである。

元々、出世欲ゼロ、偉くなりたい気持ちゼロ。
世の中に認めてもらいたいという気持ちはなかった。
今は、自分の好きなことをしているのが最高にご機嫌。
とは言え、既存レベルを維持するにはある程度の努力が必要である。
何もしないで全てを他人に依存は、ムシが良い。

既存レベルを少し下げるのか、少し上げるのか、徐々に下げるのか、徐々に上げるのか、そのままで推移するのか。
少しの幅は、自然の成り行きだ。
向上心ある人は頑張れば良い。
欲の無い人はそれなりで良い。
なんでも良い。
自分が良いと思えば。
人にどうこう思ってもらおうとすると、ややこしい商務中心 旺角