ゴリーは同じであると

わたしは、安い100円の回転寿司でも、目の前で寿司職人が握ってくれカウンターで食べる高級お寿司も、味は多少違うが、お寿司というカテゴリーは同じであると感じる。
食に貪欲な人はどんな労力やお金や時間を使ってでも、美味を追求する。
わたしは、美味しい、不味いの味の「違い」はわかる。
喉元過ぎれば同じだが。
どれぐらいの価値を置くか、である。
ではあるが、わかるということは、幸せである。
わからない人もいるし、一生、わかることはない人もいる。
その人の歩んできた人生、歩む人生による。
選択肢があるか、ないかであるが、喉元過ぎたらおんなじやん!なんて言っているわたしは、味わいも風情もない。
美味を味わい共に楽しもうとする人々を白けさせるかも知れない牙周病 糖尿病
確かに良いものは良い。
味わい尽くすことに生きる悦びを感じるだろう。
その一方で、衣食住ではなく、命をかけた登山に人生の全てをかける人もいる。
命ほどではなくても、グランピングなど、半分自然を取り入れたキャンプも人気だ。
贅沢の感じ方が人や年代によって違う。

今ふと思うと、豪華ホテル贅沢三昧は、あんまりカッコよくないかも知れない。
時代遅れ感がある。
昔昔の大女優さんのように、すごい毛皮のコートをまとって、しゃなりしゃなりと歩くと、動物愛護団体から非難を受けるように、時代は移り変わる。
豪華、贅沢も時代と共に質が変わるように思う。
ごてごてコッテリよりも、心地よい透明感。
豪華な部屋でなくても、一粒のコーヒー豆を自分の手で栽培し焙煎し味わうのも、こだわり。
クラウドファウンディングで寄付して皆んなで企画立案、夢を具体化して立ち上げ作るのも良し。
ではあるものの、日常生活に忙殺されると、意識の高い目標より、手に取りやすい快適時間のほうが効き目があるように思う。
が、人それぞれ照CT

豪華ホテルステイのブログも、年に数回ならまだしも、毎月毎月これでもか、、、と、なかばムキになるかのようにインターネットにアップされると、ステイするのが楽しみなのか、アップするのが楽しみなのか、本末転倒のようにわたし個人としては思う。(決して非難でも否定でもありません)
そういう時期は誰にでもあることだろう。
自分を楽しませているのは、本当に贅沢なライフスタイルなのか、皆んなの目に触れる自分の生活なのか、、、
両方同時に楽しんでます、というのもアリだけれど。
日記を兼ねて、なんていうのもアリ。
読む人を不快にさせる、特定の他人に対する誹謗中傷やヘイトスピーチでなければなんでもアリだ。

皆んなの生活や考えを知ることによって、自分の刺激になり、自分が活性化されることなら、大いに好奇心を持ち触れると良いと思う。
ただし、わたしの場合は、あんまり行かない傾向にある。
今を楽しむのが精一杯で、人のことまで興味が追いつかない。
わたしは器が小さいのか、自然体エコ路線であるIVF試管嬰兒