認められるというもので

わたしが自分のブログに何度も同じことを書くのは、自覚している。
既に購入済みのものが家にあるのに、自覚せずに、何個も同じ歯磨き粉を買って来るというパターンとは、似て非なるもの。
だから何?
内情は違っても、外から見える見かけは、同じ。
現象は同じ。

例えば、、、ギャンブル依存症だから、病気だから、ギャンブルが人に被害を与えたり、常識をはるか超える非合法範囲であっても、認められるというものではない。

自分のブログに何度も同じことを書いても、飽き飽きヘキヘキする人は、読みに来なくなるだけであり、わたしはブログの広告収入をあてにしているわけでもなんでもないので(第一、広告は設定していないし)
たんにアクセス数が減るだけである。

自分の蒔いた種、自業自得。確信犯。
ではあるものの、ウケを狙ってスベるよりは、苦痛が少ない。
ウケを狙わないでスベることを承知の上でスベっているのだから。

と、開き直り、相変わらずマイペース。
可愛げがない。

ちなみに。
ある趣味サイトの60代の女性が日記をあげている。
60代と70代の、合計3人で、スポーツジムの後、食事に行く話。
待ち合わせ時間、場所にうまく3人が揃わないという話を延々と経緯を書いておられる。
(延々という点では、わたしも人のことは言えないが)
LINEでお互い約束、待ち合わせしていたところ、途中に時間が微妙に変更になって、LINEで知らせても既読にならなかったり、携帯電話をロッカーに入れていたり。
なんやらかんやらで、無駄な労力、待ち時間を過ごしたことを書いておられる。
思わずわたしは、よせばいいのに、その日記にコメントを付けた。

「スゴイです、わたしならとても出来ません。
自分の時間が減るので」

わたしは、嫌な奴だろう。
一人単独行動をボッチだと思わない。
ジム仲間と雑談をするために、わざわざ労力と時間を割いて苦労する気になれない。
本当に人それぞれだろうけれど。
人の好みはマチマチ、千差万別。
どの行動も正解であり、間違いなどはない。

てくる子供さんたちもいる

さて、師走もあと少し。
歳末、デッドヒート。
気持ちだけ焦っている。
いつものことだが。

年末年始、自分たちの家で過ごしたことは今まで一度もない。
夫の実家で、行く年、来る年。
姑もいなくなり、誰もいない家に、別に行く義務はないのだが、必ず、お正月は夫の実家で迎える。
子供たちも夫の実家に集まる。
これは精神的なものだ。
こころの柱となる、今はなきイエ意識の名残か。
(ほとんどの方々には共感されない、理解されないと想像するが)
代々受け継いで行く気持ちがある。(子供たちは、ないかも知れないけれど)
子供たちも実家を離れ、核家族でそれぞれの別世帯の家で暮らしているが、年末年始は故郷。
子供の実家は、わたしの今の家になるが、わたしたちの実家は、親の実家減 皮下脂肪
ルーツである、これは動かない。
新しく枝葉は分かれるが、一本の幹の部分に集結する。
「故郷の家に来てね」と子供たちには言わないが、暗黙の了解になっている。
自然に集まる。
わたしたちの代の後は、長男にだけ義務を押し付けることなく、子供たちが話し合って、どうにかすることだろう。
気持ちもさることながら、労力もお金も必要になる。
余裕があるかどうか。

わたしの母方実家は、長男、次男が次々他界し、彼らには子供がいなかったため、今は、三男とその息子が、管理している。
この世から消え去る家やモノ、制度もあるが、首の皮ひとつでどうにか繋がっている醫生脫疣
わたしの父方実家も、どうにか引き継いでくれる見通しが立った。
父方、祖母の実家も健在。
地元のみならず、東京や名古屋に就職しても、定年後、実家に戻ってくる子供さんたちもいる。
いわゆるUターン。
郷土愛なのか、地元愛なのか、家族愛なのか、愛着なのか、、、?
地方の考え方なんだろうか。
何人かそういう人を知っている。
都市部ではあまりそういう人とはお知り合いにならない。
価値観は人によって違う。
ではあるものの、年老いた親を介護のため同居したり、通ったりしている年配の人もいる。
老老介護。
故郷に帰る、などという想いはないように想像する。
切羽詰まった状況。
毎日毎日を必死で生きる。
あるいは、楽しみながら生きる。
それぞれの人生泌尿科 價錢

ンピュータから覗くことが出来

頭が柔軟すぎる人、あるいは、カチンコチンの人は、洗脳されやすい。
わたしは、もやもや人間なので、なんでもかんでも疑ってかかる。
真実はどれ?
表面はこう見えるが、真実はどこに隠されている腎癌局部切除
今はフェイクニュースも氾濫していて、わけがわからない、作る(流す)側と受ける側のイタチごっこのドロ沼となっている。
半世紀前、インターネットを含め、コンピュータの益々発展を予測していただろうけれど、AI生成の精度は上がるばかり。
企業人はさておき、一般人はどうやって自分の身を守ればよいのか。

一歩も部屋から出ない引きこもりウン十年であっても、刻一刻変化する世界事情を、部屋の中のコンピュータから覗くことが出来る。
攻撃することも出来るMRI價錢。(→犯罪)

SF映画で観たことは、今や現実。
現実には起こっていないこともあるが、起こって欲しくない。
行き過ぎには弊害がある。
むしろある意味、時代が逆戻りしてくれないかなあと思ったりする。(保守傾向は嫌なんだけど)
ただし、男尊女卑や差別、人権侵害の時代には二度と戻って欲しくない。

こうやって、いつも、もやもやしている。
もやもやしたまま、個人的に事態が好転した事例がぽつぽつ出てくると、喜びを実感しながら、もやもやで良かったんだ、と自分の道を肯定する材料が増える。
もちろん、全てが好転するわけではない。
ほぼほぼ思い通りにならないものと諦めていたら、その中で、少しでも望みが叶ったら儲けものだ中一派位

の要望を通すわけにもい

理由が哀しい。
若い夫は、「自分の子供が欲しい」と。
不貞だとか、DV、ギャンブル狂などならわかるが訂製月曆
責めることができない、かといって、子供が産めない年齢の、自分の要望を通すわけにもいかない。
子供好きな男性ならきっと優しい人なんだろう。

結婚生活7年のうちに、妻が急病を発症した際の夫の対応、サポートで重篤になることを避けられたエピソードもある。
それで感謝してやまない、らしい。
いつかこんな日が来ると覚悟していたかも知れない。
親からはぐれた野生の動物の赤ちゃんが、自立後は野生の森に帰っていくように。
愛情をかけて大切に育てた子供が自立していくように。
楽しい時間をありがとう、という気持ちだろう。
最初からわかりきっていることだったが、人は微妙に変化するのも想定内。
受け入れるしかない。

ちなみに、わたしなら、24歳年下男性と結婚するほどの甲斐性も魅力もない。
わたしは超サボりなので、自分が年上というシチュエーションは、選ばないだろう冷凍溶脂
結婚や、異性の対象とは見なさず、介護やサポート、執事、用心棒、召使いの対象に選ぶかも知れない。(限りなく上から目線)
男性であれ、女性であれ、身近にいると信頼も生まれるが、裏切られる可能性も大きい。
血が繋がっていても、紛争やトラブルが起きるのだから、他人ならなおさら。
ビジネスと割り切った、からりとした関係のほうがマシか。
が、人材は要。
優秀な、自分と相性の合う人材を確保、維持するのは並大抵ではない。

件のタレントさん、7年も、ふた回りも年下の男性と楽しい時間を過ごせて良かったではないか。
でも、楽しさには必ず終わりが来る。
これは、動かしようがない。
楽しみの内容や、質を工夫して変えていかない限り、未来永劫に同じ状況をキープするのは不可能だ。
それがわかった上で楽しむと良いのだが、人間だもの、割り切れない。
竜宮城にいつまでも、いたいbtl 眼袋槍
自力で岸に泳ぎ着く自信があるならいつまでも竜宮城に留まるとよいが。
岸への無料バスが出ている間に乗っておいたほうが、リスク回避だ。
自力を過信すると、後で自分が大変である。
何事も一歩手前で終わるのが理想。
しかし、そうは行かないのが、人生だ。

らも縁の下の力持ち的

最近、ご近所さんたちの高齢化が進んでいる。
先一昨日の夫スイス行方不明事件の方は90歳。 
個人情報漏れ漏れ苦手女性も90歳。
そして、他にもたくさんいる。

今日、バス停に向かって歩いていると、町内女性たちの井戸端会議。
一応、大きく会釈して通り過ぎようとすると、その中の最年長女性が言ったBB腸絞痛

「おばあさんの会議です」

なるほど、その通り。
わたしは、自分は若手だと実感した。
しかし、若手はまだわたしの子供世代や孫世代も控えている。
上から2番目、下から3番目。
これ、つい最近までのうちの家族構成図。
姑、我々、子供たち夫婦、孫たち。
4世代が同時進行している。
まさに社会の縮図。
税金の使い道、分配もそりゃあ難しいことだろう。

おばあさんたち、お元気だ。
つい最近まで(そんな気がするだけで、もっと前)、自治会で彼女たちは後方支援ながらも縁の下の力持ち的に仕事、役割をこなしていた。
当時はわたしは、現在の長女、次女世代、働き盛り。
自治会会議に子連れで参加していた若いお母さんも、あのベビーちゃんたちは大きくなって立派な大人になっている。
一世代一世代ずつ、順番に歳を取っている。

自治会掃除の日、バリバリ陣頭指揮を取っていた男性がいた。
長身。足りない用具を調達係にテキパキ指示していた、、、カッコイイなあ、、、
この方、じつは、わたしの長女が通っていた地元小学校の同級生のお父さん。
もちろん、お母さんも知っている。柔和な方。
カッコイイ人は、いつまでもカッコイイんだ、、、と、ほれぼれ。
わたしと同世代であることは間違いない照CT
まだまだイケているではないか、見捨てたものではない、と、へんに嬉しくなった。
まだ働ける年代。役に立つお年頃。
その上の、我々の親世代だって、まだまだ元気で、道で長々と立ち話しているんだし、、、。

今、わたしが住んでいる地域は、ほんの腰掛けのつもりだった。
本拠地は、嫁ぎ先の、県をまたいだ東隣の地。
わたしが生まれ育った地は現在の住所と西に隣接する県。
3つの地域を少しずつ西から東に移動したことになる。
今いる場所は、子供の教育と仕事のため、便宜上、家を設けた。
仮の住まいだという認識だった。
が、35年以上も経つと、住民の皆さんと同じ時間を過ごし、同じ時間分量、歳を重ね、感慨深いものがある。
そう言いつつ、隣の家には、メインのご夫婦以外に誰が住んでいるのか、家族の移り変わりを知らない。
お隣さんを初めて見た時は一番下の子供さんは小学生だったが、その後、3人のお子さんたちはどこの学校へ行き、どこに就職し、家族でどこで住んでいるのか知らない。
(下の娘さんが高校入学時に仕立てた学校の制服を、お隣さんが留守で預かったことがある。
どこの高校かそれでバレバレだったようで、奥さんが気にしてか、制服を渡した時、一言コメントされていた。
が、わたしは全く興味がなかったので、どこの高校か知らない。いまだに。)
が、車は常に数台停めてあるので、ご近所に住んでおられるのだろう。
情報通の町内の知人から、お隣さんの情報を得る。情報の逆輸入。
わたしは、あまり人の生活には首を突っ込まない主義。
うちの、やたら大きく伸び放題の木にも35年以上、お隣さんから一言の文句も言われないことには胸を撫で下ろしている。
いつ苦情を言われるかとヒヤヒヤしているが、もう限界!という頃には、必ず植木屋さんに伐採してもらっている銅鑼灣牙醫推薦
どうせ切るなら早々に切って、スッキリさっぱりすれば気持ち良いものを、、、。
ちなみに、木が茂って隣家に迫っていることに関しては、かなり隣家は忍耐強いと思われる。
(もうそろそろ暑くならないうちに今月中には植木屋さんに連絡しなければ、、、)
両隣に関しては、何ごともトラブルなく今日まで来て、ほっとしている。

ょろっと舌を出すのは

しかし、潰れたと見なすか、見なさないか、それは取りよう。
例えば、、、黄金の人生の人もいるが、病気の人もいる。
黄金は運だけではないと思うが、運も大きい。
病気は不運。
だとすると、運、不運に振り回されるのか。
逆に病気になって気付かされることもある。
どの面をどこから見るか。
取りようだ。

わたしはイジメられっ子だった。
おとなしくて可愛かったからだろうね、なんてちょろっと舌を出すのは、まあ痛いこと。
なんでもいいのだ。
自分を守るのは自分なので收細毛孔

どこか陰があった。
子供の時から世の中を斜めから見ていた。
皆んな、何をわーわー喚いているんだろうと。
冷めた子供だった。
わたしの基準は、(文字通り)死ぬか生きるか、だった。
なので、生命維持の危機でもなければ、そんなに大騒ぎしなくてもいいのに、と思っていた。
なので「大変だ!!」の基準が周りとズレていた。
普通の一般的な表現をすると、「おっとり」していた。

真実は一つ。
が、諸説あるのは、見る方向が違うから。
どの方向から見ても同じとは限らない。
多面性がある。
多面性こそ、真実である。
どう捉えるかは、個人による減 皮下脂肪
信じた道、その一本、真実一路の人と一緒に行動すると疲れる。石頭カチンコチン。
なので、少し余裕、隙間を設ける。
アソビの誤差。
調整出来る自由な部分を持つ。

洗脳されやすい人の脳構造はどうなっているのか?
不思議だ。
自分のアタマで、自分で考える習慣がないのだろう。
または、考えてもまとまらない、わからないので、とりあえず丸投げ。 
あるいは、考え過ぎて磨耗して壊れた?
そんなかんじか。
分野によって使い分けることもある。
これは石頭コース、あれはお任せコース。
複合ミックス型。
1人の人間の中でも調整し、複数の人間の集まりでも調整する。

そうやって集まったコミュニティの形成。
緩やかなコミュニティもあれば、強固なコミュニティもある。
お互い、個人が目的を持って集まり、役割分担する。
が、役割を持たない人、コトもある。
緩やかで自由で束縛がない分、絆は弱い。
ローリスク、ローリターン。
滅私奉公で頑張り、ハイリスク、ハイリターンを求めるのは生身の人間だからこそ。
が、自分と同じ温度を人にも強制されたり求めたりされると、暑苦しい。

何もしたくない人は、他者に期待出来ない。
が、災害時などは助け合う。
日頃の気持ちや行いの積み重ねは、大事濕疹奶粉推介


ちなみに、
SNSの影響、効果は、良い面も悪い面もある。
何ごとも両面ある。
社会経験の少ない未成年者や若者、高齢者には、落とし穴や罠が見抜けない。

しかし、、、
世の中には驚くほど無知な人がいる。
ではあるが、社会のことがわかっていて、社会で生活できていれば、少々無知でも構わない。
無知と無教養は、少し違う。
無教養でも生きていける。
無知は、自分を危険な目に陥れる場合がある。
よく言われていることだが、周りに信頼できる大人がいるかどうか。
1番身近なのは親だ。
子は親を選ぶことは出来ないから、著しくハズレだった場合は、いち早く自立するしかない。
かえってそれがプラスに作用することもあるから、結果的には何が良いのかよくわからない。

その店は混み混みであ

大阪市内の、環状線やら、私鉄やら、いろんな電車が停まる駅の、駅前ど真ん前にある喫茶店。
昭和レトロな雰囲気で、分煙なんか、どこ吹く風皮秒去斑
プカプカ、モワモワ、お構いなく、周りからの濃い煙に、帰宅するとタバコの匂いが服に付着している。
ダンス会場に行く時、そこでボリュームたっぷりな、お値段も昭和の良心的価格のランチを食べるのだが、、、。

今どき、分煙しない店など珍しいからか、はたまた、良心価格のせいか、あるいは、立地の良さからか、いつもその店は混み混みである。
どう見ても時が逆流したような店。
古い、ビニール椅子に脂っぽい手あかが、テカテカついたような、庶民的な風情。
高級志向の人は、行かないかも知れない。

その店では、もちろん周りに遠慮することなく、思いっきり、タバコをプカプカ吸う人も多く利用する。
サラリーマンもいるし、労働者、ブルーカラーも、子連れ主婦も高齢者も、老若男女で賑わっている。

と、長々説明。
そこでわたしが、とても驚き感じることがある。
喫茶店だから昼時は主にその店のオススメランチを食べるが、一人で来る人もいるし、おしゃべりしている人もいる。
で、近くから、おしゃべりが聞こえると、ある種のトーンには、わたしは耳ダンボになってしま激光脫疣う。

まず、声、発音。
わたしは生まれも育ちも国籍も日本なので、日本語や日本人の細かい特徴がよくわかる。
背中合わせなので、顔は見えないが、イントネーションや、話し方で、即座にその人の社会的属性が想像できる。
うわぁ〜、絶対にわたしとは、接点がない人だ!という人がいる。
(昨日のわたしの背後に座っていた女性)

そのダミ声の女性は、マイナス感情を吐き出すように、一方的に話していた。
まずは、状況説明、自分との関係。親族の話のようだ。
長々だらだらと一方的に聞かされる、親族でもなんでもない相手のことが気になった。
なぜなら、あんな話、関係ない人にとっては、なんの関係もなく、しかも不満を爆発させられてもはた迷惑なだけだ。
しかし、相手は、ほんの一言、二言だけ、合いの手を入れる。
わたしは二人の関係性を想像した。
あんな話に素直に付き合ってあげる相手とは?
ちらと見ると、背中合わせの女性の肩越しに、相手の肘から先が見えた。
腕と袖口から、60代前半ぐらいの男性だと推定した。
この、ダミ声の女性の夫ではない。(内容が、相手は知らないと思われる親族の話だから)
では恋人か?
肩から上だけの後ろ姿で想像する、ダミ声女性は50代後半〜60代か?
まあ、恋人でもあり得ないことはない。
男性が、女性に熱を入れているのだろう。でなけれな、おとなしくあんな話を延々と、しかも肯定スタンスで聞かない脫毛